神々の悦びや苦悶へ、のぼりつめていく
interviewee 笠井叡
──企画を聞いた時の感想は?
ぜひ参加したいと思いました。というのも、昨年に真樹さんが『運命』の振付・演出をされてとても評判が良かったと耳にしていたんです。それが今度の企画では「自分で踊るんです」と振付の依頼をいただきました。すでに一度『運命』という楽曲に向き合った真樹さんだからこそできる表現があるのでは、という面白さを感じましたね。
振付家が4人いるのも魅力的でした。全楽章をひとりで振り付けるのは大変ですから(笑)。それに、真樹さんから第四楽章の振付を依頼された時、第一〜三楽章までいろんな方が振り付けてきた流れを引き継ぐ最後のパート(第四楽章)を担当できるのはやりがいがあるなと思いました。全力で取り組みたい。
──振付のテーマはありますか?
『運命』の第四楽章はベートーヴェンの楽曲の中でもっとも明るい曲でしょう。底抜けに明るい長調のメロディでエンディングまで盛り上がる。けれど、ただ明るいままでは終わらない。その昇りつめるような明るさの先には、神々の悦びや苦悶があるような気がするんですよ。
たとえばショパンが人間的な喜びや嫉妬や悲しみの感情を音楽にしたとしたら、ベートーヴェンは神々の苦しみを背負うような曲をたくさん作ってきた。第四楽章もそうで、なにか人間を超える存在を感じさせるんです。後世の人が『交響曲第5番』のことを『運命』と呼ぶようになったのも、そう感じるなにかがこの曲にあったからでしょうね。運命という言葉には人間を超える大きな存在がある。この『運命』という楽曲を踊ることを通して、真樹さんには“ベートーヴェンは明るさの向こうに何を見ていたのか”を表現して欲しいですね。
──以前にもベートーヴェンの楽曲で振り付けされましたね。
2013年に麿赤兒さんたちと『第九』を踊りました。実は僕、ベートーヴェンが一番好きな作曲家なんですよ。彼は作曲家の中で破格の存在であり、楽聖であり、神様のような人。しかも、今の時代で例えると、プリンスやミック・ジャガーのような超前衛的なロックミュージシャンだったんです。やりたいことをやる唯我独尊さを持ち、当時の宮廷秩序を崩した。作曲も即興だと言われていて、『ピアノソナタ32番』の最後なんてまるでラップですよ。この『運命』はものすごく自由に作っていると感じます。
何にもとらわれないベートーヴェンのように、真樹さんも今回の企画でやりたいようにやっていますね。自由かつエネルギッシュに取り組んでいる真樹さんにはベートーヴェンの楽曲が合っていると思います。僕も、音楽的な要素の強い真樹さんの身体に振り付けることを楽しんでいますよ。
──森下真樹さんはどんなダンサーさんですか?
真樹さんには以前も振り付けたことがありますが、変な人なんですよ。成熟さと幼稚さがごちゃごちゃになっている。もちろん大人の女性なんだけれど、一生懸命に踊れば踊るほど7歳くらいの子どもが頑張っているように見えてくるんです。男も女も関係ない子どものピュアさがあり、面白い。今回の企画も真樹さんの「なんでもやりたい、なんでも挑戦したい、なんでも遊んでみたい」という精神が形になったのでしょうね。
──踊り手が真樹さんだということで、振付で意識していることはありますか?
私が振付家として真樹さんとやりたいことはたった一つで、それは、動きを通して真樹さんの今までの身体が変わっていくこと。というのも、振付とは、ダンサーの内部から出るものではなく、外部から「こう動いて」と指示されるものなんです。言われたことを受け入れ、それまで試したことのない動きがうまれ、振付ができあがっていく。今までにない体の動かし方は、肉体を変え、ダンサーの一生に影響を与える働きがあります。その体験を通して、森下真樹という一人の人間の存在が「以前とずいぶん変わったな」と感じられるようになればいいですね。
──今までにない動きを、どのように振り付けるのでしょう?
そもそも私には振り付けているという感覚はないんです。私がしていることは、真樹さんが立っている姿を見て、立ちのぼる匂いを嗅いで、色を感じ、そこから流れてくるものを受け取って動きに変えてくこと。目の前のダンサーから感じたものを動きにしているだけですから、私自身「なぜこんな動きになるんだろう」と思うこともありますよ。振りを指示している私にとっても初めて体験する動きがうまれているんです。
──振付家とダンサーの関係のなかから動きがうまれるのですね
それがいわゆる『振付関係』です。しかし相手の全存在に影響を与えるほど深い関係は、誰とでも作れるものではない。それができる振付家とダンサーの『振付関係』は、恋人関係よりも友人関係よりも、もしかすると親子関係よりも深いかもしれませんね。そこには言葉はなく、性別もなく、上下関係もなく、「わたしに振り付けてください」「あなたを振り付けたい」という相互の矢印だけがあるのです。
──笠井さんにとって『運命』とは?
運命とは、人間の手ではどうしようもないもの。運命の力というのは良い場合もあるしネガティブな影響もあるけれど、僕たちはただ従わざるを得ない、大きな存在です。恋人も結婚もそもそも日本で産まれたのすらすべて運命で、自分でやったことなんかひとつもないですよ。結局人間は運命に従って生きているんでしょうね。諦めているわけではなく、すべてを引き受けていくしかないんです。
取材・文・写真 / 河野桃子